2020-05-20 第201回国会 衆議院 外務委員会 第8号
○吉良委員 私もここ二年ぐらい結構北方領土を勉強してきたので、今おっしゃったように、ヤルタ会談で、ドイツ降伏後二カ月又は三カ月後に対日参戦する、ドイツ降伏が四五年五月八日ですから、それから三カ月後だったわけですよね。
○吉良委員 私もここ二年ぐらい結構北方領土を勉強してきたので、今おっしゃったように、ヤルタ会談で、ドイツ降伏後二カ月又は三カ月後に対日参戦する、ドイツ降伏が四五年五月八日ですから、それから三カ月後だったわけですよね。
このヤルタ会談の結果というのは日本にも影響があるわけでございまして、南樺太、千島、満州の権益と引きかえにドイツ降伏後二、三カ月内に対日参戦をするということもこのヤルタ合意の中に入っているわけでございます。
○上田耕一郎君 今度辞任されるドイツのワイツゼッカー大統領は、ドイツ降伏四十周年の日に、過去に目を閉ざす者は現在が見えなくなると、ナチスの犯罪を深刻に反省して全世界に深く静かな感動をもたらしたんです。 日本の敗戦五十周年に、日本の首相の歴史認識が問われていると思うんです。そこで、じゃヒトラーの戦争は侵略戦争だったのか。どうお考えですか。
そこで、私は、ドイツの場合と対比しながら総理大臣にお聞きしたいのですが、さっき引用しました一九八五年五月八日、ドイツ降伏四十周年、連邦議会においてワイツゼッカー大統領が演説をなさった。大変大きな反響を呼んだ、国内外から。そして、これがドイツの態度なんだという信頼が寄せられた。その直後に、あのイスラエルにワイツゼッカー大統領は迎え入れられて訪問しているのです。
ドイツ降伏四十周年でワイツゼッカー大統領は、「過去に対して目を閉じる者は、現在を見る目も失うであろう。非人間的なことを心に刻まない者は、新たな感染の危険に対して、またしても無抵抗となるであろう」と演説し、ドイツ首脳の厳しい歴史認識と心からの反省の気持ちを語っています。
このとき、ソ連はドイツ降伏後二、三カ月後に対日参戦し、そのかわり、南樺太と千島をソ連に渡す密約が交わされた。」こう書いてあるのです。しかし、考えてください。これは当事者抜きの欠席裁判であり、アメリカ政府の一九五一年の公式見解での「この領土移転のいかなる法的効果を持つものでない」とでも書いてあれば、生徒に正しく理解させられるけれども、そのようなことは書いておりません。
昭和二十年になると戦局は末期的様相となり、三月の硫黄島陥落、四月の米軍の沖繩上陸、つづいて五月のドイツ降伏など、情勢はいよいよ急迫化し、広島市は第二総軍司令部をこの地に迎えて本土決戦の一翼をになうことになった。